撮影雑記

私の経歴などをちょっと。

私は大学時代に写真部に所属していて、とにかく写真が好きで好きで仕方が無く、親には申し訳ないのですが授業をさぼって暗室にこもる日々でした。
「駒ちゃんがどこにいるか分からなかったら、暗室に行けば会える。」と言われていた程で・・・。笑

バイト代もオシャレには使わず、フィルム代、印画紙、現像のため等の薬剤のお金に全て消えて行っていました。
とにかく撮って撮って撮りまくって、それを現像して、焼いて焼いて焼きまくって・・・そんな日々で、持っている服は薬品でまだらになったものばかり。笑

どうしてあんなにのめり込んでいたのか。

もしかしたら、はじめて自分を表現できる方法を知り、それを評価してくれる人たちがいて、自分が存在して良いんだ、という気持ちになれたからかもしれません。
自分でも何か人よりもちょっと得意なものがあったんだ、と。

写真は私の人生をガラリと変えてくれました。
写真を通じてたくさんの人たちと出会えたし(今でもそれは継続中)、自分をとても前向きな人間に変えてくれた気がします。

飽きっぽい私が、写真だけはずっと続けて来たし、これからも続けて行くのであろうと思います。

大学時代に普通に就職活動をはじめたものの、やりたい事もイマイチ分からず、かと言ってカメラマンになれるとも思っていなかったので、写真を焼くラボの人になろうかと思い、ある会社の面接を受ける事にしました。

そこには小さいながらも撮影部があり、ポートフォリオを持って行ったところ、「うちにはない感性なので、是非カメラマンとして来てみないか?」と採用して頂いたのです。

化粧品のような物撮りメインの会社だったので、私が撮りたいようなものは撮れませんでしたが、先輩カメラマンたちはみんな優しく、とにかく実践を通して覚えて行けという感じで、入ってすぐ撮影もさせて頂けたりで、本当に勉強になりました。
先輩から教えて頂いた事は、今でも私の真ん中にあります。

しかし、その会社はとにかく残業が多く、仕事があっての残業ならまだしも、『誰かがまだ仕事をしているから帰れない』雰囲気があり、自分の仕事を終わらせてからラボの仕事を手伝って・・・。土曜日も隔週出勤でしたし、体も心も消耗してしまい、会社以外で写真を撮る気力が無くなってしまった自分に気付き、辞めました。送別会を開いてもらって、最後にトップの方に抱きしめてもらった事が印象的です。申し訳ない気持ちで一杯だったので、その瞬間これからしっかり頑張って行こうと思いました。

何か違う事がしたいと思い、グラフィックデザイナーとして転職した訳ですが(これも経験者募集の所に写真のポートフォリオを持って行って採用してもらった・・・)、そこにも撮影部があったので、たまにカメラマンとしてもお仕事をさせて頂いたりで、本当に良い経験を積ませて頂きました。

とにかく、写真と出会ってからは運にも人に恵まれて来た人生だったなと思います。

フリーランスになってからは、グラフィックデザイン、Webデザインにプラスして、面白そうな撮影のお仕事を頂いた時には受けて行く事にしました。

カメラ★ライフという写真サイトを立ち上げ、まだブログなんて言葉が日本に浸透していない時に、写真を使った日記を付け始め、それが嬉しい事にちょっとした人気を生み、たくさんの方からアクセスをいただき、メッセージもたくさんいただきました。
私の写真を好きだと言ってくれる人たちがこんなにたくさんいるのか、と。

実際にそういう人たちと交流したいと思い、写真集を自費出版したり、東京や京都で個展を開いたり。
本当にたくさんの方々との出会いがあり、今もその時に出会った大切な友達がたくさんいます。
今、この時代に私が写真ブログをはじめても、きっとあんな奇跡は起こらなかったと思います。本当にラッキーだった・・・。

結婚してシドニーに引っ越し、子供も出来て、しばらく撮影の仕事からは離れていましたが、息子の手が離れ始めて『出張撮影』を始めたいと思うようになったのです。

オーストラリアでは結婚式のカメラマンも自分たちで選ぶのが主流です。
自分の好きなカメラマンを見つけて、式の前に何度も会って雑談を交えながら打ち合わせをするのです。
その延長で、新しい家族ができた時にはまたそのカメラマンに撮ってもらったりする・・・。とても新鮮で嬉しい驚きでした。

ずっと『街のカメラマン』的な存在になりたいと思っていた私は、人生の節目節目に継続的に声を掛けていただいて今を記録して行くような、そんなカメラマンになりたい!!と強く思ったのです。

私の父方の祖父はバスの運転手をしながら、家に暗室がある『街のカメラマン』でした。学校などに呼ばれたら集合写真を撮りに行ったり。
祖父は父が赤ちゃんの時に徴兵されて、戦争で亡くなってしまいました。

私にもし写真の才能があるのなら。それは祖父から受け継いだものなのではないかと感じています。
私が写真に興味を持ったのも、父のマニュアルカメラを触らせてもらってから。
ずっと命の繋がりがあり、私がいる。

私が写真を仕事にできている事は、自分の力だけでは無いと常に感じています。
感謝を忘れずに。

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一度として同じ撮影はありません。
毎回毎回、少し緊張しながら、自分のベストを尽くして、写真の仕上がりを喜んで頂けるようにシャッターを押しています。

本当に、これが私のやりたかった撮影。
今まで歩んで来た道は、ここに繋がっていたのだなと強く思っています。

日本にいる間は、とにかく頂けるお仕事をこつこつと、一つ一つ大事にしながら頑張って行きます。

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